不幸本位制の上に立っている社会

マドモアゼル・愛

マドモアゼル・愛
「人生の目的、もしくは幸福とは何かということになるとおもうんだけれども。
あの私たち結構、勘違いといっちゃあ良くないかもしれないけれども、
人生の目的は幸せになることだと。幸せをつかむこととかね。
いつか幸せになるとか。いつか幸せになるということで今不幸だと困っちゃうんだけれどもね。
それはただ単に言葉の遊びではなくて、そういう相対の世界に、まあ 、マインドコントロールだと思うんだけどね。無理やり入れられている。いつか人は、「幸せになりましょう」一見いいじゃない、そう言われると。
そうすると、それは、本当は不安なんですよ。皆さん本当は不幸なんですよと言うことを教えて、それは 、事実ではないにも関わらず、教えられる。マインドコントロールにあっていると。
「皆さんいつか幸せになりましょうね」という暗黙のサインの中においては、「今皆さんが不幸なのはこれがないからです」「これを持っていないからです」「この学校出てないからです」「痩せていないからです」まだまだいっぱいあるよね、「二重じゃないからです」。面白過ぎるよね。
そして見事にそれに「そうかもしれない」と。そのため一生懸命働いてそれを買って、だから経済というのは人の不幸本位制の上に立っていると。そういう構造を持っているんです。
これが逆に「皆さん今日も新たな一日が始まります。でどんな1日でしょうか。うらやましいなぁ」とかもしアナウンサーが日々言ってくれればね、誰も負い目なんかきっと感じなくなってくると思う。別にテレビやラジオや新聞にね、そういうだけの力があるとは思えないけれども。でも生まれた時からずーっとこの方、そういう方向で言ってきて一番洗脳されやすいところが、不安を持ってる人っていうことなんだけれどもね。
学校教育なんか先生が「みんな夢を持って、いつか夢を達成させよう」とか言う。考えてみれば気持ち悪い話なんですよ、これも。でもそうなっていっているよね。
じゃあ例えば「日本一になろう」とか、もうそれはそれで素晴らしいですよ
それは素晴らしいことだと思うけれども、しかしそれが本当の唯一の目的になってしまうと敗者しか生まないんだもんね、だって、例えばその日本一になるためには何千校がその凌ぎを削ってそれを、争うと。そうというような形になったら999校は、それが達成できないという。達成できなと、もちろん純粋が若い人たちにはね、まあ良い思い出ができて、それはそれで素晴らしいことだと思いますよでも。でも教育の方向としては
やっぱりどっかおかしいんじゃないのかなぁって私は感じるわけよね。すでに多くの人が感じている。
なので世界で一つの花を咲かせると社会でナンバーワンよりオンリーワンという歌が流行ったのもね、まあそういうことじゃないんじゃないだろうかという思いがあるからだと思うんですよね。しかし、でも多くの人はまあ日々、オンリーワンとは言いながらも、あれも欲しい、これが欲しいと常に刺激されて、「いつか幸せになろうね」とか言うようなことはオンリーワン的な歌が流行ったのと同じくらいのウェイトでそれはそれこれはこれっていうな形で今なお生き続けているなという気がするんですね。
だからひと言で言うと私たちは良くなろうとすることで追い詰められていくんです。
良くなんかなろうとしないことなんですよ。
良いことなんか求めない。
良いことを求めるのはいいけど、良くなろうとしないことだよね。
たとえば、ちょっとでも何でも良くなろうとする判断、習慣によって私たちをとはひどく追い詰められて、ひどく傷つけられていくんですね。
良くなろうというのは常々今の自分じゃダメだ、良くなろう、今の自分じゃダメだということを言ってるわけだから。
そして、何やっても良くならない何やっても良くならない、何やっも良くならないということでだんだんエネルギーを奪われていってしまうということが基本的に多いんだよね、特に若い子たちの学校教育の中ではそういう現象がいっぱい起きてくるんですよ。
良くなんかなろうとしないことなんです。」

“マドモアゼル・愛(Youtube)|良くなろうとしない„

私が、クリシュナムルティやマドモアゼル・愛さんをよく取り上げるのには理由がある。

私は、ある視点で人を大きく2つに分けて見ている。

その視点というのは、「相対的なものを拠り所しているか」、「絶対的なものを拠り所にしているか」の2つです。

もちろん、そこに、いわゆる「良い」「悪い」はないです。

ただ、色んな場面でそれを伺い知ることができるのです。

特に、「幸福」を求めるという行為。

どんなに偉人とされる人であっても、沢山の人の心の支えになっているような人物であっても、この「幸福を求める行為」を説いている人は、私の中では「相対的なものを拠り所にしている人」となります。

幸福を願う。

幸福を求める。

これは、当たり前のようなことでもあり、そこに引っ掛かっている私が変人となることが多かった。

でも、そのおかしさにどうして気づかないのか、

「幸福」というのは、相対的な概念ですよと。

つまり、「幸福」があるところには、必ず「不幸」があるのです。

相対的な概念は、決して片方だけが存在することはできないのです。

つまり、「幸福」だけが存在することはないのです。

「幸福」を求めるということは、自分を「不幸」にすることです。

愛さんが、語っているのもコレにあたります。

クリシュナムルティが語っているのもコレにあたります。

なぜ、今の自分を受け入れて、全ての体験を堪能しないのか。

なぜ、今の自分を否定して、他に何かを求めるのか。

なぜ、その行為のおかしさに気づかないのか。

なぜ、そのようなことになるかというと、それは、愛さんが述べてらっしゃるように、マインドコントロールにあっているからです。

幼いころから、そのように教え込まれてきたからです。

愛さんも、クリシュナムルティも現在の学校教育の在り方を懸念している。

もちろん、学校教育だけではない。周囲の大人を含む社会全体からマインドコントロールを受けている。

じゃあ、逆のマインドコントロールをかければ、皆そこから離脱することができるかと言えば、そうではない。

マインドコントロールによる意識の変容には意味がない。

やはり、それぞれがそれぞれのタイミングで気づくことが醍醐味で、また、逆に気づかず突き進むというのも醍醐味なのかもしれない。

そこにそれぞれの人生の物語があるとも思う。

結局のところ、自分の人生を振り返ってどう思うのかは、他の誰かが判断することではなく、自分自身がどう思うのかしかないのですから。

因みに、「絶対的な幸福」みたいな表現をする方もおられるようですが、それも同じですよ。

「絶対的な幸福」を求める今のあなたはどういう状態なの?ということになります。











(・ω・) ということで、今回のおすすめ商品は、
ドゥルルルルルルルルルルルルルルルーー
(・ω・)ノこちら!

「曙産業 コーヒーサーバー ストロン 750 2WAY ドリッパーセット ブラックドリップコーヒー/水出しコーヒー兼用 TW-3760」

前回に引き続き、「曙産業」さんのサーバーになります。

こちらは、「水出し」と「ドリップ」の2通りの使い方ができる。

トライタン製で割れない。

水出しコーヒーも作れる。

ドリップとしても使える。

これは、いいんじゃないですか。

2WAYと書かれていますが、

3WAYではないかな?

「水出し」のやり方でお湯を入れれば、

フレンチプレスと同様、浸漬式のコーヒーが楽しめるのでは?

これは、いいじゃないですか!

3通りの使い方ができて、しかも割れない。

デザインも良い。

これ一つあれば、色々、抽出器具を揃える必要もないのではないかとも思える。

考えれば考えるほど、これは優れています。

おススメですよ!

それでは、また
(・ω・)ノ

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