中庸 (ギリシア哲学)
中庸(ちゅうよう)とは倫理学(特にアリストテレスのそれ)において、徳の一つ。
『ニコマコス倫理学』のなかで、アリストテレスは人間の行為や感情における超過と不足を調整する徳としてメソテース(中間にあること)を挙げた。メソテースとはギリシャ語(ギリシア語: μεσοτης, Mesotes)であるが、英語ではGolden Mean(又はHappy Mean)と言う。日本語訳ではこれに中庸という儒教用語をあてた。例えば、勇気は蛮勇や臆病の中間的な状態である時はじめて徳として現れる。アリストテレスによれば、この両極端の中間を知る徳性が思慮(フロネシス、実践知)である。 なお、ここで言う中間とは必ずしも2つのもののちょうど真ん中という訳ではなく、どちらかに寄っている場合もある。例えば、例にあげた勇気では臆病よりも少し蛮勇の方に傾いていると考えられるのが一般的である。
“ウィキペディア|中庸 (ギリシア哲学)„
GOLDEN MEANについて
と、前回の記事で引用したものを再掲しました。
この中庸、GOLDEN MEANについて考えたいからだ。

分かりやすく中庸について書かれた記事があったので、以下に記します。
働くうえで意識していること
今回私がテーマとして書くのは「中庸」についてです。中庸とは儒教を起源として「極端に偏らず、また過不足なく調和がとれていること」を意味します。欧米でも古代ギリシャの哲学者アリストテレスが説いた徳論「メソーテス」や、現代でいう「Golden Mean」がそれに相当します。
具体的にいうと、勇気が過ぎれば無謀ととられ、足りなければ臆病に、親切が過ぎればお節介になるし、足りなければ無関心といった偏りを持たず何事も過不足のない状態が徳であるという教えです。
これは平均を意味しているわけではありません。一般的に学力は高ければ高いほど良く、社会人であれば、平凡な営業成績よりもズバ抜けた業績がより評価されるわけですが、中庸とは行為の帰結として優れた成果を生み出すために、‘今’すべきこと・あるべき姿勢を教えているのです
例えば、「一流の国立大学に入る」という成果を生み出すためには、英語だけに偏らず全教科を網羅しなければいけませんし、営業であれば業績を達成し、トップになるためには自社商品に関するインプットに始まり資料作成、対人構築やプレゼンスキル、商談等の交渉といった能力をバランスよく身に付ける必要がありますよね。
一度素晴らしい成果をあげたらそれで終わりでしょうか。人生における一つの成功体験に過ぎないと思うのです。ここでひとつ事例を挙げたいと思います。国境なき医師団時代のことです。私の同僚にハーバード大学を卒業したアメリカ人女性がいました。MBA資格をもつ彼女は既往プロジェクトの質を担保しつつ、係る経費を20%削減し、浮いた分で新規プロジェクトの立ち上げを成功させた大変優秀な方でした。
ところが、約3か月で経費は元通りになり、新規プロジェクトも壊滅状態となってしまったのです。なぜだと思いますか?彼女は論理的思考能力は優れていたものの、関係者の感情や目線に立った意思疎通を軽視して論破するあまり、結果として誰も彼女についていかなかったのです。
プロジェクトを遂行してくためには「人」という投入が必要になりますが、その「人」という存在は感情で動く生き物です。左脳と右脳、つまり論理的思考と感情的思考のバランス=中庸が取れていなければ、成果を挙げてもそれを維持又は拡大することは困難だと言えます。この経験は一つの教訓となりました。
全体俯瞰をするとき「私と相手の真ん中」を意識する
現在、JICAアンゴラ事務所で企画調査員というポストに就いています。ここでの仕事は、ODAプロジェクトの事業枠組みを作るために、相手国政府の開発課題を特定するとともに、日本政府の外交政策や開発政策に合致するよう双方のニーズを擦り合わせて案件形成を促す仕事です。
アンゴラの意向を最大限に取り入れつつ、日本の国益に繋がるよう調整し立ち回る上で、中庸は一方に傾倒しかけた姿勢を再び正常な位置、つまり中立の立場に戻すためのアンカリングとして機能しています。
「私と相手」という立ち位置ではなく「私と相手の真ん中」という意識が、その時々に応じて、どちらの立場に立ってコミュニケーションを取るべきかを俯瞰的に考える一助となります。日本人はしばしば主張が弱いと言われますが、相手側に傾倒し過ぎているからではないかというのが持論です。
一般的な考えとして、コミュニケーションを取る目的は、自己利益の最大化ではないでしょうか。自分勝手な自己主張のことを言っているのではなく、傾聴しながら意見を述べお互いにプラスになるように持っていくことを指します。そのような時にこそ中庸は自身の立ち位置を教えてくれるのです。
“神田外語大学同窓会 ホームページ|平塚 竜一|多様性の時代だからこそ考え直したい中庸の必要性„
ナルホドと思う。
ナルホドなと思う。
確かになと思う。
特に私は、GOLDEN MEANという言葉に興味をそそられる。
golden meanは、何故「中庸」という意味になるのでしょうか?
goldenは「すばらしい」、meanは「平均」という意味と思いますが、「すばらしい平均」が「中庸」ということでしょうか。
「中庸」を調べると、「アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。」とされているのですが、よく分かりません。
ベストアンサー
meanだけでも「中庸」の意味を持っています。
数学では「平均」、倫理学では「中庸」で
どちらのmeanも平たく言えば「真ん中」ですが、
倫理学には数学のように分かりやすい軸がないので
「中庸」は「どこからみても真ん中」という高度な概念になります。
ここから、「完璧な」というニュアンスを持つgoldenをつけて
golden meanという言葉ができたのだと思います。
“YAHOO!知恵袋|golden meanは、何故「中庸」という意味になるのでしょうか?„
私自身は、「金」というのは、一昔前の基軸通貨であり、この世界の基軸的な存在だと思っています。

だから、カタチの美を追求した結果の比率の呼び名にも「gold」が使われている。
golden ratio:黄金比
その「基軸」的な意味のgoldにmean「《数学》平均、《論理学》中項」とくる。
何となくではあるが、絶妙な言葉ではないでしょうか。
基軸的な、立ち位置(平均でもなければ、中項でもない)といった感じではないでしょうか。
考えさせる言葉となっている。
その基軸的な立ち位置を明確に表現できないのは、その中心点となる立ち位置はそれぞれの経験から見えてくるものだからだと思う。
具体的に言うと、それぞれの立場を体験して、初めてGOLDEN MEANが分かるのではないかと推測できる。
体験していなくても相手を推し量ることは可能ではあるが、それが自己の投影であるかどうかの判断の難しさがある。
本当の意味において、GOLDEN MEANを掴むには、ありとあらゆる体験が必要になってくると思う。
それでも、やはり、直感という次元の違う絶対的なものが存在している為、GOLDEN MEANは、どこか処世術のような印象を受ける。
でも、直感に従って行う行動に対して、より有益に働いてくれるのではないかと・・・、前回と同じ結論となってしまいますが、それだけではないものをGOLDEN MEANは感じさせてくれます。
それが、「俯瞰」するというところにあると思うのです。

第三者として会話に入ると俯瞰は容易だが、自分と相手の二者だと途端に俯瞰が難しくなる。
自分を俯瞰視することが難しいからだ。
俯瞰できているとすると、その俯瞰している存在は何なのかということになる。
ここで、クリシュナムルティが述べていることと一致するところがある。
その俯瞰している存在は何なのか。
その観察している存在は何なのか。
ということなのです。
クリシュナムルティは自己(思考している自分だと思っている存在)=過去の記憶の蓄積であり、観察している存在が本当の自分であると述べている。
つまり、自己を捨てた領域にGOLDEN MEANが存在するということになると思う。
そう考えると、クリシュナムルティの語る内容とも、マドモアゼル・愛さんが語る内容とも繋がってきて、中庸、中道、GOLDEN MEANが単なる処世術ではないということが分かってくるのです。

おすすめ商品
(・ω・) ということで、今回のおすすめ商品は、
ドゥルルルルルルルルルルルルルルルーー
(・ω・)ノこちら!

この、見たことがあるようなボトル形状は?

5つのパーツに分かれます。

レモン絞りとすりおろし器。

ロートと計量カップ。

エッグセパレーターと花瓶。
花瓶?
・・・この花瓶機能必要?

花瓶機能のみの写真もあったりと、どういうこと?
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花瓶機能を入れると、「bin6」になってしまいますよ。
それでは、また
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