「安泰でありたい,安全無事でありたいというわれわれの願望の結果である恐怖は,われわれを適合させ,模倣させ,支配に従わせ,ゆえにそれは創造的な生き方を妨げる.創造的に生きることは自由の中で生きることであり,それは恐怖なしにあることである。」
(ジッドゥ・クリシュナムルティ)
自分の立ち位置と振る舞い
これは、今現在雇われているのであれば、仕事を辞めないと本当の意味では理解できない。
で、ここで言う「自由」は、いわゆるフリーダムといった自由ではなく、人間本来の選択肢の多さを意味している。
本来の自分の道を歩むと、そこに恐怖はない。
恐怖がないということは安泰しかないという世界かといえば、もちろんそうではない。
ただただ様々な事象が「絶対的」に起こり、それを味わっているという感覚に近い。
当ブログで何度も触れてきたように、様々な事象が波のように押し寄せてくるのがこの世界です。
その、相対性の波に、サーファーのようにノリノリで波乗りするのであれば、それはそれで最高の状態といえるのですが、多くの人は、安泰にしがみつこうとする。

安泰にしがみつくと、必然的にやってくる「変化」や「不安定」を強く恐れる。
クリシュナムルティが何度も述べているのは、この相対性の世界での自分の立ち位置です。
で、自分の立ち位置ですが、クリシュナムルティが述べているのは、最近重要視されている「中道」「中庸」「GOLDEN MEAN」ではないと私は考えています。

中庸 (ギリシア哲学)
中庸(ちゅうよう)とは倫理学(特にアリストテレスのそれ)において、徳の一つ。
『ニコマコス倫理学』のなかで、アリストテレスは人間の行為や感情における超過と不足を調整する徳としてメソテース(中間にあること)を挙げた。メソテースとはギリシャ語(ギリシア語: μεσοτης, Mesotes)であるが、英語ではGolden Mean(又はHappy Mean)と言う。日本語訳ではこれに中庸という儒教用語をあてた。例えば、勇気は蛮勇や臆病の中間的な状態である時はじめて徳として現れる。アリストテレスによれば、この両極端の中間を知る徳性が思慮(フロネシス、実践知)である。 なお、ここで言う中間とは必ずしも2つのもののちょうど真ん中という訳ではなく、どちらかに寄っている場合もある。例えば、例にあげた勇気では臆病よりも少し蛮勇の方に傾いていると考えられるのが一般的である。
“ウィキペディア|中庸 (ギリシア哲学)„
それらの神髄を私は知らないのだが、やはり、誤解が生じるリスクの方が大きいように感じるのです。
何よりも、「直感が最高度の英知」と述べているクリシュナムルティの考えとどこか合わないのです。
創造的に生きるということは、自分の人生を生きるということです。
そこには、他者との比較もないのです。
自分はどう生きるのか。
そこに、最大の創造があるのです。
・・・
ただ、「中道」「中庸」「GOLDEN MEAN」の立場にこそ「徳」があるとされています。
その「徳」の解釈がポイントで、
「徳」が現世で働くエネルギー体であるとするのであれば、
もしくは、周波数帯であれば、

どんな人生を歩むにしろ、有益に働くのではないかとも思います。
つまり、立ち位置としては違うものを感じるが、自身の振舞としては、「中道」「中庸」「GOLDEN MEAN」であると尚良いという感じがします。
ただ、それでも、どこか角度を変えた表現というだけで、同じようなことを言っているようなものを感じるので、次回の記事でもGOLDEN MEANを取り上げたいと思います。
※これは、当ブログ立ち上げ第一号(6月4日)に投稿した記事に追記したものです。
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