始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる。

ユリウス・カエサル

ユリウス・カエサル
「始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる。」

この言葉に関しては、思うところがある。

よかれと思って始めたことも、時が経つと悪しき慣例となる可能性があるという意味らしい。

背景としては、ローマである陰謀事件が起こった際、元老院たちは容疑者の処刑を主張したのに対し、カエサルは証拠もなく罰するべきではないと言い、ここで疑わしきを罰する先例を作ってしまうと、後の世もそうなりかねないということで上記の言葉となった。

感情的になっている人を諭すにはこの上ない説得力のある言葉である。

ただ、様々なケースに対してこの言葉を当てはめようとすることに対しては、少し呑み込めないのである。

塩野七生さんは、この言葉をよく引用していたように思う。
引用した上で、逆もあると。

つまり、「悪意(私腹を肥やす行為、自分が有利になる行為)から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる」と

どちらかと言うと、私はこの逆の使い方の方がスッと理解できる。

何かをしようと思った時は、そのメリット、デメリットは内包している。

いわゆる薬と呼ばれるものも、作用と副作用がある。

水面を叩くと、波が発生し波紋が広がる。波は水位を「0」とすると、+―が発生していることになる。

何かをするということは、そういうことなのではないだろうか。

カエサルがとった政策も、ネロがとった政策も、カリギュラがとった政策も、必ず「+」「―」がある。

身も蓋もない言い方になるが、何かをすれば何かの事象が起こる。そこに意味はなく、本人が何をしたいかだけがそこにある。善意も悪意もあまり関係ないのだ。

ということなんだと思う。

市民側はどう受け取れば良いのかといえば、与えられた環境で何をしたいのかだけだと思う。
活用して楽しむのか、ただただ耐え忍ぶのか、関知せず自分の道を創造するのか。

「良い」「悪い」で判断すると感情を持っていかれて、苦しんだ挙句自滅の道を歩む。

話を戻すと、慣例ができる経緯の本質をついた名言ではあるが、何か違和感を感じるし、どうも解釈がズレていっているように感じるのだ。

カエサルが語った言葉の意味は、「感情で判断するな」ということではなかったのだろうか。

そうすると、カエサルの生き方と、このセリフが自然と繋がってくるように感じるのだ。










(・ω・) ということで、今回のおすすめ商品は、
ドゥルルルルルルルルルルルルルルルーー
(・ω・)ノこちら!

「HARIO(ハリオ) コーヒーサイフォン モカ 3杯用 日本製 プレゼント ギフト 贈り物 MCA-3」

サイフォンは以前ブログで述べた通り、憧れの抽出器具である。

ただ、問題は、フィルター部分のネルの管理が大変だということだ。

流水であらって、水に漬けて冷蔵庫に保管しても、すぐに腐るのだ。

流水でガシガシ洗い、絞るなどしてよく水を切ってジップロックに入れて「冷凍庫」に保管すれば問題ないというのは数年前に知ったことで、ずっとネルを敬遠していた。

でも、このサイフォンであれば、ペーパーフィルターを使用できるのだ。

ペーパーフィルターだと、コーヒーオイルを抽出できないのだが、サイフォンだと最後の工程の吸引圧でもしかしたらオイルも抽出されるかもしれない。

そこまで、オイルにこだわる必要はないのだが、個人的にはぬるりとした触感は好きであったりする。

それと、サイフォン上部でコーヒーの粉とお湯を混ぜるのに使用する、

「ハリオ・コーヒーサイフォン TCA-5用 部品:上ボール/62-6529-05」

竹は味移りがしないということで、かき混ぜようにこのようなものが売られている。

これは、サイフォンだけではなく、いろんな場面でかき混ぜる時に使用して重宝している。

「きくすい 国産竹 日本製 ティースプーン」

ティースプーンも竹製のものを使用している。

カレー用やフォークも竹製にしたのだが、扱いづらく殆ど使用しいない。

口に入れるものは、もっと薄くないと違和感を感じる。

それでは、サイフォンで贅沢な時間を演出してください。

おススメですよ!

それでは、また
(・ω・)ノ


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