結果の意味

クリシュナムルティ

質問者
「しかし、どうやって?」

クリシュナムルティ
「指摘させていただくなら、問題は「どうやって」ではないのですよ。「どうやって」という方法は結果を生み出すだけで、結果には、たいした意味はありません。結果が得られたあと、またほかの望ましい結果に対する探究が始まり、それには、悲惨さと葛藤がついてまわるでしょう。」

“はじめてのクリシュナムルティ|クリシュナムルティ„

この前後のやりとりも非常に面白いのですが、今回はこの部分だけ切り抜いた。
「この非常に素早い精神を減速することはできるでしょうか?」というクリシュナムルティの問いかけに対する流れである。

大事だと思うところは、「『どうやって』という方法は結果を生み出すだけで、結果には、たいした意味はありません。」という部分だ。

私自身、常々思っているのは、「結果」というものは存在せず、あるのは「経過」だけだということである。

人は自分勝手、あるいは、〆切等会社や社会の都合により、ある時点を切り抜いて、それを「結果」にしようとする。

それに一定の効果があるとされている以上、人々はそれを繰り返す。

例えば、私が学校で生徒に厳しめに指導を入れたとする。
その生徒は、厳しく指導を受けたことにより、学校に来られなくなる。
この部分を「結果」として切り抜くと、私は間違った指導を行ってしまったことになる。
しかし、その生徒は1年後、先生の言っていたことが分かったと言って、感謝の言葉とともに、いわゆる良い状態で学校生活を送ることができるようになる。
そうすると、私の行ったことは、「結果的に」良かったということになる。
しかし、その生徒は卒業後、犯罪で逮捕されることになる。
そうすると、私の行ったことが、「結果的に」その生徒を歪ませていたことになる。
しかし、刑務所内で先生の言葉を思い出し、頑張ることにより刑期が短くなり社会復帰できるようになった。
そうすると、私の行ったことが、「結果的に」良かったということになる。
・・・きりがないので、このくらいでやめます。

何が言いたいのかと言うと、切り抜く部分で結果などコロコロ変わるということである。

そもそも、そんな不確定なものである「結果」を「どうやって」と、求める。

そうではなく、様々な体験(経過)から発見、習得していくものなのです。

すぐに「どうやって」と結果を求めることに関心を向けている質問者に対し、クリシュナムルティは反応し指摘しているのがこの部分である。

そして、今現在、未来の「結果」を意識してアレコレ考えるということは、思考しているということになる。

つまり、「過去の記憶の蓄積である」思考が未来の不確定な「結果」を判断しているのである。

それは、自分の行動範囲を狭める行為で、今までの自分の世界の中だけで生きるということを意味する。

つまり、創造的な生き方とはならないのです。











(・ω・) ということで、今回のおすすめ商品は、
ドゥルルルルルルルルルルルルルルルーー
(・ω・)ノこちら!

「HARIO (ハリオ) 水出し コーヒーポット ミニ ブラウン 600ml MCPN-7CBR」

最近はおしゃれなデザインのものが出回っていますが、私が以前購入したものはコレです。

アイスコーヒーが飲みたいということで購入した。

コーヒーを水で淹れることに抵抗があったが、
かなり、おいしい!

コクのある味わいというか、期待を裏切らない感じがします。

私自身、暑い夏場であっても、アイスコーヒーは1日1杯が限界であったりする。

2杯飲むと、あきらかに体調が悪くなる。

胃腸がもともと弱いのか、冷たいものに弱いのか
とにかく1杯までにしている。

因みに、コーヒーは1日4杯分くらい飲んでいる。

アイスコーヒーは、安くペットボトルで売られていますが、
コーヒーの原価を考えると、本格的なコーヒーではないことは明らかである。

このご時世、「ホンモノ」を飲食したいのであれば、自分で作るしかない時代でもあると思う。

それでは、また
(・ω・)ノ


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