なぜ本を読まなくてはならないのか

クリシュナムルティ

子供
「なぜ本を読まなくてはならないのでしょう。」
クリシュナムルティ
「なぜ本を読まなくてはならないのでしょうか。ただ静かに聴いてごらん。なぜ遊ばなくてはならないのか、なぜ食べなくてはならないのか、なぜ河を見なくてはならないのか、なぜ自分は残酷なのか、とは君は決して問わないでしょう。したくないときには反抗し、なぜそれをしなくてはならないのか、と問うのです。しかし、本を読んだり、遊んだり、笑ったり、残酷であったり、善良であったり、河や雲を見る――これはすべて生の一部です。それで、もし君が本を読むことを知らないで、歩くことを知らないで、木の葉の美しさを堪能できないのなら、君は生きていないのです。君は生の小さな片隅だけではなく、その全体を理解しなくてはなりません。それゆえに、本を読まなくてはならないし、空を見なくてはならないし、歌い、舞い、詩を書き、苦しみ、理解しなくてはならないわけです。というのは、そのすべてが生であるからです。」

ここは、「本を読みましょう」と解釈するところではない。
「〇〇しなくてはいけない」という反抗心に対する説明を行っている。
全ての体験そのすべてが生であるということなのです。
宗教やスピリチュアル的に感じるかもしれないが、
これは、ただただ事実を述べているだけなのだ。

と、話は変わるが、
「クリシュナムルティ」の本を古本で購入した。
いくつかの本には、ところどころ蛍光マーカーでマーキングされていて非常に読みにくい。
前にも一度、鉛筆でメモが沢山書き込まれた古本を手にした。
私自身、参考書は別として本に何かを書き込むことはしない。
ましてや、書き込んだ本を売るという発想もない。

書き込んだ人のことを考えてしまう・・・。
クリシュナムルティの本に書き込む・・・?
私は、クリシュナムルティの本を聖書のように思っているわけではない。
ただ、そういった知識の詰め込み行為をクリシュナムルティの本にすることにおかしなものを感じる。
本当に、本に書かれてある内容を理解しているのであれば、マーキングをするはずがないのです。
学校教育の賜物か、あるいは、それがなくても貪欲に知識だけを得ようとするのか。もしくは、クリシュナムルティの言葉にすがりたいのか。

これは、非難しているわけでも、否定しているわけでもない。
ただ、今の社会がそんなことから透けて見えたということだけなのだ・・・。



(・ω・) ということで、今回のおすすめ商品は、
ドゥルルルルルルルルルルルルルルルーー
(・ω・)ノこちら!

「Turelar ハンドブレンダー マルチスティックブレンダー 800W」

「ん?・・・コーヒー関係じゃないの?」
と思われるかもしれませんが、

コーヒー関係です。
しばらくは、コーヒー関係です。

コレは完全無欠コーヒーを淹れるときに使っています。
というか、それ以外に使っていなかったりします。

完全無欠コーヒーを知らない人もいるかもしれませんので、簡単に、
グラスフェッドバターとMCTオイル、コーヒーを
ミセル状態になるまで攪拌して作るコーヒーです。

腹持ちがよく、朝飲めば、昼食べなくても平気となります。
詳しくは、こちらの本に書いてあります。

「シリコンバレー式 自分を変える最強の食事」

最初は、ジューサーで作っていたのですが
割れたり壊れたりと運用しづらく
上記の様なブレンダーとなりました。
コレだと、ステンレスジョッキに材料を入れて
ブレンダーで攪拌。そのまま飲める。
洗いも、ブレンダーの先端部分とジョッキだけ。

おすすめとしては、先端がステンレスタイプの
ブレンダーがいいです。

以前、プラスティック製の物を使用していたのですが
壊れました。

今となっては毎朝の習慣でしかないのですが、
飲み始めた頃は、そのパフォーマンスの変化に驚きました。

本の中にも書かれてありますが、
コーヒー豆はいいものを選びましょう!

それでは、また
(・ω・)ノ

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